初心者がまず最初に覚えるのは”負け方”
勝率100%のトレーダーはいませんから、
勝ちトレードだけの紹介に意味が無いどころか、
初心者が「勝者はほとんど勝っている」と誤解すれば
悪影響を与えてしまう可能性もあるからです。
初心者が覚えるべきは、まず負け方なのに。です。
トレードにプライドは必要か
おまえは連敗を公言して恥ずかしくないのか?
と思うかもしれませんが、
・・・
恥ずかしいです。
しかし、「プライドは無いのか?」と問われれば、
あります。
よく、
「くだらないプライドは捨てろ。そこから始まるんだ」
みたいな事が言われます。
自己啓発系の書籍でも
「プライドなんか捨てろ」って結構通説になっている気がします。
みなさんはどう思われますか。
1・そう思う
2・どちらとも言え無い
3・全くそう思わない
私は間違いなく3番なんです。
定義や解釈、和訳の問題かもしれませんが、
×プライド=意固地・強情・頑固・過信・排他的・傲慢 etc.
○プライド=自尊心・信念・背骨・自信・唯一性・誇り etc.
前者の群なら当然、不要ですが、
私にとっては後者の群を指しており、むしろ不可欠だと思っています。
前者には、勝ち負けの概念が見え隠れしますが、
後者は、自分との戦いであり、自分との約束です。
負けているなら、
「意地を捨てて、信念を持つ」とか
「見栄を捨てて、自信を持つ」
という精神が、他者との間に精神的優位を作ると思います。
プライドは、捨てるんじゃなく、
どんな時でも死守しなければいけないものだと思っています。
500円のプライス
私は小学生のころ、アパートの二階に家族3人で住んでいました。
ここの風呂は、五右衛門風呂で、共同風呂です。
風流とかそう言うのではなく、コンクリ製の風呂釜に、
小学生の兄が薪を入れて、温度を調節するので、
(親は働きに出ているので)
使い辛く、危険で、面倒、そして順番待ちで、アパートとは別棟の為、冬は寒いです。
時代劇では、半月状の2枚の木蓋をよく見ますが、
私のところは円形の木蓋一枚だったと記憶しています(どっちでもいいですけど)
同年代にしても珍しいボロ屋です。
私は不動産屋で働いていた事がありますが、どんなに古い物件でも同様の風呂を見た事はありません。
小学生の夏休み、
そのボロアパートの前の駐車場で友達4人と遊んでいました。
友人の一人がこんな事を言いました、
「モアっていつもオモシロイけど、本当は可哀想なんよな」
(周りも少し同調する感じ。)
友人に悪気はないし、私も何とも思いませんでした。
(自分は可哀想だと思っていない)
しかし、珍しく休日で家にいた母親が、2階の窓から急に顔を出し、
「あんたら、今日は暑いから、アイス欲しくない?」
と提案してきました。
喜ぶ友人達に2階から100円玉を次々に投げてきました。
「いくよー、ほら!。好きなの買っておいで~」
友人たちは
「お金を投げてくるとか、スゲーよな」
「おまえのお母さん、気さくでいいよな」
「俺もあんなお母さんがええな」
子供なので、バッチリ母の狙い通りにハマっていきます。
合計500円。母にしては太っ腹です。
500円のプライド
しかし私はそんな事より、
日頃俺ら兄弟が、言いつけ通りに節制してるんだし、
お金を投げて粗末に扱ったらいけんのに~。と思っていました。
いつもはねだっても買ってくれないのに、なんで急におごるのか。
そのときの私は理解できませんでした。
そんなんだったら、その場にいなかった兄にも買って欲しい。
(俺だけ食べるのはフェアじゃない)
ツレの前だからって急に(※)見栄張ってんじゃねーよ。
と内心ふてくされていました。
(※見栄 → 先述の☓の方のプライド)
しかし、
あのとき母が500円を放り投げて買ったのは、プライドなんです。
(先述の○の方のプライド)
あのとき、、500円は大金だったと思います。
それでも即断で500円を投げてきたのは、親のプライドであり、
友人達の中で私の立場が下に見られないように気遣う
私のプライドの為だったのだと思います。
ルンルンでアイスを手に戻ってきた私と友人達。
友人達は、2階の窓に向かって
「おばさんありがとーございまーす」
って、言いましたが、
母は窓に顔を出さず、返事もありませんでした。
当時の私には解りませんでしたが、
今思えば泣いていて顔を出せなかったのかもしれません。
(数年後に気づくキッカケがあったので)
プライドは他人と競争する為にあるんじゃなく、
自分を維持する為に必要なのだと思います。
くだらないプライドなど捨てて、
プライドを持つ必要があると思います。
(なんだそれ)
なんか今日はちょっとまとまりませんが、以上です。